洗足学園、肥沃なフィールド(女子校)洗足学園中学校

2019/11/30

ここは「医学部医学科42名」「海外大学17名」のトップ進学校。でも、学習・進学指導のクオリティを品評する前に、深くに宿る本質を際立たせたい。秀でる力量を見いだすのは東大合格者数ではありません。校地を覆う肥沃な土壌(=教育文化)です。

2019年度から授業週6日制に改めました。生まれた余裕を活かして、「総合的な探究の時間」を増量。質を高めました。単なる「英語・数学強化」では信念に反します。洗足らしい発展です。

 

 

▼以下は、あくまで記者主観ですが、問題提示として記します。

一般的な学校のイメージ⇒洗足学園のイメージ

「生きる力」を列挙して、訓練する。⇒「生きる力」とは何か?と問いかける。

限られた道を示して、選ばせる。⇒数多な道を示して、迷わせる。

時代の要請に応える。⇒子どもたちの要請を引き出す。

個々に備わる才能を活かす。⇒個々に備わる才能を変える。

社会の未来を見通して策を講じる。⇒子どもたちの今を見渡して策を講じる。

旅の行程表と航空券を手渡す。⇒世界地図と招待状を手渡す。

「判断」を促して、「決断」を評価。⇒「保留」を見守り、「思慮」を評価。

「対策」「準備」を支援する。⇒「対処」「整備」を支援する。

「結果」を重んじ、「成果」を称える。⇒「経過」を重んじ、「意志」を称える。

「広さ」を測って、数量を誇る。⇒「深さ」を測って、品質を誇る。

タフなメッセージ

生徒A 「先生、私、数学が好きだから理学部に行く!」

先生  「精いっぱい応援しよう。

でも、本当に、それでキミの望みが叶うのか?」

生徒A 「・・・・・・・・・・・・・。」

 

生徒B 「先生、今年の文化祭、大成功でした!」

先生  「キミたちの健闘は称えよう。

でも、本当に、これで満足しているのか?」

生徒B 「・・・・・・・・・・・・。」

 

上記の会話は洗足学園の指導エッセンスを表すためのフィクションです。成長期は「自己肯定感」を保ちつづけるべきです。「達成感」を積み上げるべきです。でも、学園は、宣誓や功績をタイムリーに褒めながら、あえて、心を揺らして、仄かに霞んだ余韻を響かせます。

不用意に浴びせれば柔らかいハートを圧してしまうでしょう。大人にとっても重たい問いが「日常の雑談」レベル。学園の「土壌」には、タフな滋養が満ちています。

たとえ、「・・・」が、一時の失意や不満でも、それが、次ステップの始まりです。

試練を畳みかける根性教育?いいえ、違います。

 

マニュアルは捨てなさい

「思考力を!」と叫びながら、○○対策。創造しよう!と浴びせながら、△△準備。教育現場は、いつの間にか、画一的なマニュアルを編集します。子どもたちは、従うだけ。倣うだけ。「むしろ、昭和期の方が大らかに考え創っていた」と危ぶむ声が聞こえるほどです。

理科実験、体育祭、クラブ活動・・・。洗足では、あらゆる「取扱説明書」は危険回避の注意書きレベル。「使い方は、あちこち触って覚えなさい」でしょうか?首をかしげながら悪戦苦闘。未来、煌めくようにひらめくための糧を温めます。

 

視界は広く、心は広く

12歳が過ごすエリアは狭い。視界は手が届くとこ ろまで。テリトリーを広げなければなりません。中等教育機関が担う使命です。

例えば――。動物好きのCさんは将来は獣医学を究めたいと意気込みます。発心を喜びアシストするべきでしょう。ただし、洗足では、それだけで終わらない。言語、歴史、物理・・・、バイオと縁遠いフィールドに誘うのです。永住の地を選び抜くためには、数多くの街を巡ろう。たとえ、10年後が獣医師でも、芸術や文学を語ろう。広大な土地に解き放ちます。

 

心が弾む猶予期間

人は、事物を探すときには、不安から逃れるために「見つける」が目的化します。しばしば、不本意なのに「これがベスト」とプラスバイアスが働き自己合理化。無意識に妥協します。

前途は、早く探し当てて安心したい。成長期における進路選択も同じ危険をはらみます。昨今は、早期から決断を急かします。「あなたはどの仕事に就きたいの?」と迫られても16歳が即答できるのでしょうか?洗足は時々の決意を貴びながら、「猶予」を演出します。学園生は、選択に慌てず、弾みながら選択肢を集めつづけます。

 

オススメコースは遠回り

洗足は、安楽な最短ルートを勧めず、辛苦な迂回コースへ案内します。意地悪です(笑)。

ケーブルカーから降りたつツーリスト。山路を登りつめたハイカー。どちらが、森林を知るでしょうか?ジェット機でローマに着いた団体客。上海から陸路で辿り着いたバックパッカー。どちらが、大陸を知るでしょうか。

渡船が欠航・・・。言語が通じない・・・。数々の困難を機敏な創意工夫でクリアしながら旅を満喫する旅人は、エピソード(=経験・アイディア)が豊富。人々を魅了するでしょう。

 

 

卒業生Dさんは、某大学の文系学部に進学しました。その後、医療の道へ進路(針路)を改めました。文系から医学部編入を果たすバイタリティに感嘆します。学園が授けたのは、学力だけなのでしょうか?


「哲学」とは?

中学高等学校では耳にしない言葉。学問としての「哲学」も、その領野は理解しがたい。はたして、何故、学園内に持ち込んだのでしょうか。「道徳」との違いは何でしょうか?「哲学的思考」と「科学的思考」の違いは? ここでは問題提示に留めます。学園の深くを理解すれば、その真意に頷くでしょう。

 

発言してみたけど、実は本音とちょっと違ったかも。

Eさんの意見には賛同できないけど、自分の意見も定まらない・・・

Fさんつまり何が伝えたかったのだろう・・・

そもそも、この会に何の意味があるの?

 

哲学対話 ――「総合的な学習」(高校生)のメニューひとつ

与えられた話題に対して、話したい生徒が発言。ほかの生徒は耳を傾けます。それだけです。「議論」とは

異なり、コンセンサスに至りません。テーマが定まっているので、情報交換や娯楽を旨とする「会話」とも違

う。説得力や交渉力は不要。「キャッチボール型」ではなく、コミュニケーション能力の育成のためには不適

でしょう。他校では出会わない光景です。いったい、これは何でしょうか?

 

○感情に基づく個人的な感想 【OK】

○思いつきレベルの提案 【OK】

○問題提示や不明点の開示 【OK】

×他者への攻撃的な批判・追及 【NG】

仲間のコメントに応じるポジティブなリアクションは許されますが、特に求めません。つまり、ランダムに「イイタイコト」を述べているだけです。

 

「モヤモヤ感」の効能

その場で具体的な「解決」はなし。反駁はできなない。心の内に、「?」「・・・」が漂います。

疑問は漠然。主題は曖昧。登下校時の田園都市線車内で(?)モヤモヤ。自ずと、思案します。それが狙いです。

やがて、疑問は判然と。主題は明瞭に。心裡をかき混ぜて、沈殿物を攪拌しながら。心身頭脳を開発します。高度な教育術です。その根底を支える意図は、前述の通りです。

ここは、ある種の訓練所ではありません。時代に不変の心を温め、技と磨き。知を蓄えるステージです。

 

インターンシップの意義――自立 挑戦 奉仕

今夏、高校生1年生は各地の企業に出向いて仕事に励みました。総合的な学習の一環です。洗足では、例年、就職する卒業生は皆無。何故、インターンシップなのでしょうか?

自己の職業適性を確かめる?それは主旨ではない。彼女たちが目撃するのは、職場ではなく社会です。子どもたちは、日々の学習が、未来、何に役立つのか実感できません。結局、大学入試に備えるだけの受験勉強に陥ります。人々は何を求めているのか。卒業後、「奉仕」を成し遂げるために、実社会でリサーチします。今の課題を体感して、今に奮い立ちます。

 

音楽の響き、洗足学園を選ぶ決め手

創設者、前田若尾は賛美歌を愛唱しました。音楽を貴びました。その想いは今の校地に宿ります。音楽大学と隣りあう中学高等学校。音楽を間近に親しみながら心を育む学舎は全国的に希少です。

中学生は音楽の授業でひとつの楽器を習います。( バイオリン、トランペット、クラリネット、フルートから選択)。学内でオーケストラを結成。特別クラブとして皆が入団できます。

 

学園の土壌を耕しているのは通常授業

今なお、学校滞在中の大半は通常授業です。各地の私学が「課外」をアピールするとき、洗足学園は「正課」の品質をもって真価を評するべき私学。左記の理念は、日々の授業空間を照らします。

「思考」「判断」「表現」を学ぶのは授業中。(例えば)理科実験は教科書に記された原理の確認では不満足。失敗すれば理由を分析します。海外大学に送り出す国際派先駆校に見えて、全員参加の海外研修は見当たらない。英語力を鍛えあげるのは、第一に毎日の英語レッスンです。「哲学対話」(前述)で実りを収穫するのは、英語、数学、国語・・・の授業で、計画を周到に描いてトレーニングを積み重ねているからです。

中学1年生・2年生時は、基礎基本を徹底します。不用意な「苦手」で道を閉ざさないためです。高校期は多教科型カリキュラム。本意は「国公立大学対策」とは別次元。多種多様な心・技・知を備えていれば、自由自在に生きられるからです。

 

一般的な問題意識⇒夏休みのプログラムAそのものの品質を磨くためには何を為すべきか?

洗足学園の問題意識⇒夏休みのプログラムAで成果をあげるため、日ごろ、何を為すべきか?

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