自由自在に生きるために(女子校)洗足学園中学校

2020/04/01

自由自在に生きるために

ある種の社会的地位を獲得するための「準備」を急き立てていませんか。サバイバルが社会到来すると脅して、「対策」ばかりを強いていませんか。

生涯一度の中高期が受験勉強と職業訓練に終始すれば寂しい。真の主題を確かめるために、洗足学園から学びましょう。

 

自由自在に生きる人は―

●多岐にわたる知識を蓄えている。多彩な技術を磨いている。

⇒多様なフィールドで奉仕できる。

●「より高く」に挑戦。安易に満足せずにクリティカルに観察・自問。

⇒時勢に塗れず絶対的に自立する。

知恵が豊富で技芸に長ければ、生活が豊かです。人々の心を惹くのは、( 例えば)古典文学に造詣の深いエンジニア。バイオリンを奏でる法律家です。

 

人は30歳でも新世界に心躍ります。40歳でも岐路が待っています。先が予見できない変革期であればなおさら、臨機な「針路変更」や「再開発」が続くでしょう。時々で、しなやかに身をこなすために何が必要か。洗足学園は、その正答を心得て、子どもたちを力づけます。

 効率的な近道を教えず、既存レールを取り払い、野原に解き放ってしまう。行程表やチケットを渡さずに、世界地図(絵地図?)と数多な招待状を掲げるのみ。子どもたちは冒険好き。むしろ、迷うときこそワクワク!「到着」は目的ではない。途上で瞳に映る風景を心に留めたい。純真にトライ&エラーを繰り返します。マニュアルライクな処世術より貴い、「体験」を集めます。動機は、「道を探し当てる」というより「野原を遠くに拡大する」で

しょうか? 海の向こうに及ぶステージは「グローバル」ではなく「ボーダーレス」と表わ

すべきでしょう。

 成功を称えながら、あえて不備を指摘。タフな洗足生とって「望むところ」。先生の甘い評価は不要。辛苦な試練を成し遂げて、まだ見ぬ自分に驚きたいからです。私が定めた高次元の尺度で審査したい。そう切望するなら後は見守るだけです。

 各地の私学は高機能化。課外プログラムを拡充します。でも、洗足学園の信念が宿るのはベーシックな「正課」(通常授業)です。老若男女がスマートフォンを携えるときICT化は当然。街に外国人が行き交うとき国際化は当然。ことさら声高に叫ぶ課題ではありません。

 各教科の基礎を頑丈に積み上げます。未来、湧き起こる「自主」を叶えるために「基本」が不可欠だからです。多教科型カリキュラムを「国公立型」と表せば、不本意でしょう。「多教科」は前途を不用意に狭めないためです。

 近年、洗足生は校外に駆け出しています。世界各地で挑む勇姿が伝わっています。「他流試合」は新奇な手法ではなく教育成果のひとつ。肥沃な「正課」で種を蒔いて芽を育みます。日ごろの授業で熱量を蓄えているからこそ自由自在にアクション。「課外」での実りが豊穣です。

 海外大学合格者17名。医学部医学科は42名。ただし、真価を語るのは合計数値ではない。個々の奔放な意志です。ある卒業生は文系学部から医学部に編入。それが「自由自在」な生き方です。

 もう一度問います。何が必要ですか?英語力・数学力だけでは不足です。

他ではなく洗足へ。その理由。

系列音楽大学と隣接。全国的に希有な立地です。中学生は楽器(*)と親しみます。学内オーケストラに入団できます。

創設者、前田若尾は、日々、賛美歌を愛唱しました。その想いはそのまま校地を温めます。

子どもたちに授けるのは教科書だけで足るでしょうか? 見つめるのは数式だけではなく楽譜。日ごろ、耳に届くのは美しいハーモニー。洗足学園で育つべき理由は明らかです。

 

 

「哲学」は与えられないから―

2019年度から授業週6日制に改めました。総合的な学習の質量を高めました。「哲学対話」(高校)は、その新メニューのひとつです。

生徒が集います。あるテーマに応じて、ランダムにイイタイコトを発言。それだけです。攻撃的な批判反駁はNG。議論ではないので建設的な解決に至りません。ある日は、ぬいぐるみが話者のバトン代わり。他校では見かけない光景。一見、意図が不明です。

力まずに言葉を放ちます。身構えずに仲間の声を浴びます。「明確にまとめられなかった・・・」。「Aさんの意見、謎めいている・・・」。心の内で曖昧なエモーションが揺れはじめます。それが「狙い」です。心裡頭脳を攪拌すれば、沈殿物が反応して新しい「滋養」を生成します。

自己に潜むおぼろげな知性・感性を紡いで、自分らしい「哲学」を鮮やかに織りなしてほしい。学園の教育設計はその域に達しています。

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