芝の美点を語りたい(男子校)芝中学校

2019/09/26

実は高温、「芝温泉」

伸び伸び(のんびり?)した生徒気質が、「温泉」と喩えられました。数年前の学園祭のゲートに浴場設備を再現したのは技術工作部の匠たち。ネガティブ評を逆手に取る、ハイセンスなパロディに、来場者は微笑みました。生徒諸君は「熱中」。でも、浸っているのはぬるま湯ではない。進学のため? 就職のため? そんな打算は不要。あれこれ思案せず、今に打ち込めば未来に悔いはないはず。シンプルな確信がポカポカと心身を温めます。

大草原の家

カナダ、ベトナム、ニュージーランドは冒険地。「林間」「臨海」は昭和期を懐旧するネーミングです。多摩で見つめるのは脊椎動物。真鶴で見つめるのは節足動物。ある日は化石を掘って万歳。ある日は富士山頂に立って万歳。畑で陽を浴びて、最先端研究所で光を浴びます。ラフティング、サイクリング、ウオーキング・・・。ここは、まるで夏休みのレジャーランド? 男子は純真。各地で無邪気に弾みます。「研修!」「体験!」とテーマを押し付けません。課題を発見するのは自分です。何が目に留まるのか。何が心に響くのか。少年の目と心は多種多様。多種なタネを蒔いて待ちます。多様なステージを仕掛けて招きます。「国際都市トーキョーの中心!」と驚くロケーションながら、ここは広大な牧場? 生徒は駆け巡る駿馬(綿羊?)です。グローバル? サイエンス? そんな時代論で煽りません。時流は自ら五感で感じとろう。世界は自ら見晴らそう。「大草原の家」は、各種教育改革議論を超えて清々しく映ります。

感謝の理由

12歳で迎えられました。上級生を見渡して自覚します。「ここは、自分たち自身で行動するところだ」。学園祭の主役は芝男子。クラブ活動の主役は芝男子。アイディアを描くのは芝男子。コーチするのは芝男子。自立に基づく自主。自律に基づく自由。それが、伝統文化です。代々、手渡しで守り継ぎます。「自主」は個々の推進力です。(「自治」とはニュアンスが違います。)学園スピリット(=共生)に背かないのであれば、沸き起こる大志に駆られて前進しよう。少々荒唐無稽でもよいではないか。遠回りした方がたくさんの風景が楽しめる! 大失敗は、ただの未来の笑い話!大らかなメッセージが勇気づけます。卒業した青年たちが恩師に感謝の言葉を届けます。任せられたからです。委ねられたからです。悩むとき、尖るときにも、「きっといつか」と信じてくれたからです。

すなわち「愛情」

「芝中学校」開校は1906年。膨大な卒業生が織りなす母校愛は膨大なエネルギー。先生方は教え子を誇ります。教え子は恩師を生涯慕うでしょう。保護者の方々も「芝ファン」だからコミュニティは健やかです。これこそ私学。家族的一体感が際立ちます。ファミリーの要件は、第一に愛情です。自主を励ましていても「放任」ではありません。遅れる「息子」、戸惑う「弟」を見逃さず、すぐさま、手をさしのべます。「父」「兄」(一部「母」「姉」?)なら、それが当然です。

―和やかなチームに、力んだライバル心は不似合いです。彼らのモチベーションは「仲間に勝つ」ではなく、「自分自身に克つ」です。―大学受験直前期、数多くの諸君が授業後の学校に留まって努めています。何故か?その正答こそが最大の美点を語ります。

大学進学だけが選択肢ではない!

自ら探し当てた道に歩みなさい。トップ進学校にして大胆な助言です。芸術家や料理人を志すなら東大は不適。望みが叶う方角に針路を取ってほしい。「五大陸を放浪」でもOKでしょうか? 「無難コース」を強いられず、視界は四方八方へ。この地に育つ諸君が羨ましい。

男子の成長を測るのは学歴ではない。英会話力でもない。人としての度量だ。

――武藤校長先生

<<戻る