学校を選ぶ、貴い指針(共学校)鶴見大学附属中学校・高等学校

2018/11/14

学校を選ぶ、貴い指針

 秋が深まれば、小6生のご家庭は出願校を定めて備えるとき。中学高校期は生涯一度だけ。未来を拓く成長ステージです。
賢明な選択眼が求められます。進学実績や各種教育プログラムの審査は不可欠。でも、数値やスペックを比べるだけで、わが子に相応しく、ご家庭の想いに適う私学を探し当てるでしょうか。
 このたび、ムーヴ編集部は鶴見大附属に向かいました。亀山校長先生にご指導いただきました。私学を見極めるとき、何を確かめるべきなのでしょうか。有益な指針を受け取りました。
 以下、私(記者)の所感を含み学校選び観点のエッセンスをお話しします。

12歳の子どもたちは皆が異なります

●興味の向く先/心に響く事物
●家庭環境/これまでの生い立ち
●成長タイミング/心身の健康状態
●世界認識/自己評価
●芸術表現・運動能力(等)に映る「天賦」
●現時点での体格・学力(到達度)  〔等〕


迎えた子どもたちの「違い」をポジティブに受容するを選びましょう入学式に並ぶ中1生のすべてが貴い「個」。ある種の基準に照らして優劣をはかる前に、等価な人格として歓迎するべきです。「率」「計」は、各校の指導力を伝えます。もし、そればかりを声高に誇る私学は危うい。生徒を塊(集団)として捉えているかのよう。学校の使命はチーム強化ではない。一人ひとりの成長支援です。
 「唯我独尊」は、しばしば、「マイペース」「自分勝手」(等)のニュアンスで誤用されますが、本来は「すべての人に、かけがえのない価値が備わる」が真義。仏教思想の根本を表す言葉。釈迦が誕生時に宣べたと伝わります。宗教思想を超えて、あらゆる文化に普遍の理念。色とりどりの「個」が会する学校は、一時も忘れてはなりません。

指導者(=学校教諭)が鍛えるべき心と技

 学校は人が人を導くところです。先進のプログラムを実践していても、「人」が薄情で非力であれば無益です。
 優れた学習指導力と頼もしい進路指導力は、中高教諭の技術として当然です。それ以上に重要な心と技を以下に列挙します。志願校の先生方は、真に心得ているでしょうか。


■託された教え子すべてを見限らず力を尽す使命感(=愛情・情熱)。
 →教職は「労働」ですが、澄んだボランティアスピリットを要します。
■大勢の生徒を一望しながら、個々の今を見つめる観察力。
 →些細な表情・言動から察するのがプロフェッショナルな技です。
■状況に応じて適切に対処するための集中力と瞬発力。
 →笑うとき、泣くとき、それぞれ、その瞬間に何を為すべきか。
■他の先生と情報を共有し協働するためのコミュニケーション力。
 →教職は個人技ではない。チームプレーで子どもたちを導くべき。

誠実なアピールと堅実な未来ビジョン

 私学とは、学園の志に賛同した家庭が集う共同体。学校との相互理 解が大前提。各校のアピールは、物品・サービスを売るための「宣伝」ではありません。共感者を募るための提言です。
 重責を負う学校が、「大言壮語」「誇大広告」が過ぎては不遜。以下に「誠実」を確信するシーン例を記します。
■根を支える思想や礎を築いた人物の生き方を堂々と語る。
 →私学とは建学者(個人・団体)の意志を実現する場。
■自説を畳みかけずに、保護者と受験生の声に耳を傾ける。
 →学校理念を重んじながら、生徒・保護者のニーズに応えるべき。
■入学生の学力水準・性格傾向(等)に基づく教育設計を披露する。
 →「できる」を丁寧に果たすべき。(人と人の「約束」の基本。)
■不調和が懸念されるご家庭には、丁重にその旨を伝える。
 →例えば合掌や経文を拒むのなら仏教主義校は不適です。

日本で際立つ仏教主義校として

正門の間近に弥勒菩薩像。講堂の舞台には釈迦如来像。教室の間近に坐禅堂が並びます。生徒諸君は毎朝、お経を唱えて心を整えます。多くの在校生は「般若心経」のフレーズを暗唱しています。
 首都圏において仏教カラーが最も色濃い私学。禅が支える中高は、臨済宗校を含めて全国に数校のみ。際立つ仏教主義校です。希有な学園精神は、校地に足を踏み入れただけで体感できます。それが、「鶴見大附属を選ぶ理由」。ここは受験対策だけに明け暮れる学習訓練所ではありません。



 民間信仰としては、人々は仏像を神格化して祈願します。しかしながら、本来、仏教には神が存在しません。希望を叶えるのは自分自身です。胸に宿る真心を、生涯、磨きつづけよう。自己を律して努めつづけよう。釈迦は苦難を生きて悟りに至った「人間」です。すなわち、「模範」と呼ぶべきでしょう。
 禅が教えるのは個々の在り方です。「どちらの神が正統か」との論争は無用。異教を排そう、悪を倒そうと尖る敵意は皆無。「唯我独尊」は民族や宗教の枠を超える平和の源。仏教は、グローバル化時代の心構えを授けます。
 禅は深遠な思想です。長年、険しい修行を積んだ禅僧でさえ「正答」を探し求めます。しかしながら、その根源は明快です。「感謝を忘れず、真人となる」。鶴見大附属が掲げる言葉は、子どもたちの心にも染みわたるでしょう。


1月の寒中、数多くの有志生徒は早朝の總持寺で坐禅につとめます。耐寒
参禅会には保護者も並びます。
亀山校長先生は禅僧のお立場も兼ねています。總持寺の僧侶を招く保護
者会を催しています。ご家庭の皆さまも、貴い指針が見つかるでしょう。

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