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ムーヴ編集部コーナー「チーム鶴亀」
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「わかる」と「できる」は違うのだ!

~2学期の受験生に送る、ちょっと役に立つかもしれない話題~   筆:鶴亀算太郎
【ムーヴ2009年第2号掲載記事です】

夏の暑い日の夕方。お坊ちゃんタローくんが夕日を浴びて夏期講習から帰ってきた。あ、この香り、晩ご飯はカレーかな?
「おかえり~、今日の鶴亀先生の算数はよくわかった~?」とママ。「うん、鶴亀先生の算数の授業はとってもよくわかるんだよぉ~」とタローくん。「そう、それはよかった。また賢くなったかしら?」とママ。
と、なんともお利口さんなニッポンの夏。だが、これが落とし穴。だって、クールなようだが、入試はテストの得点のみが結果。つまり、タローくんも自分で「できる」かどうかを確かめないと。

■実は「わかったつもり」の子どもたち

野球少年のユキオくんにショートの守りを教えるとしよう。まずは、ショート守備の役割、ボールの裁き方、セカンドとの連携などなどレクチャーして、松井稼とか井端とか藤田平(フルっ!宇野や高橋慶も懐かしい)とか華麗な技をVTRで見せる。「今度の玉川上水ラビッツとの試合で生かせ!」とコーチ。ユキオくんは、それぞれのレクチャー内容を理解納得し、「はい、コーチ!がんばります!」と宣言するだろう。で、ショートの守備位置でラビッツのバッターを見つめる。三遊間の強いゴロが転がる。さあ、腕の見せ所だ!と思った瞬間・・・、実戦はそんなにたやすくない。「何だ!できるといったじゃないか!宣言通りにプレーしろ!」とコーチの怒号に涙を流す。

スポーツの場合、わかっているけど身体が動かない、が現実なので、学習とは事情は異なるが、イメージとして例示してみた。つまり、算数授業中に宿題解説に理解できたはずなのに、翌日の模擬試験でラッキーにも出題された類題に行き詰まる・・。これは子どもによくある場面。

高校生レベルになると、授業で「わかる」の後、自分のなかにインストールしようとするプロセスを経る。だが、未熟な小学生。授業の成果を自分の実力に導く力が弱い。というか、そういう発想自体が希薄。わかった瞬間に自分が賢くなったと思い込んでしまう。

受験の成功を目的とする学習塾は、「できる」が最終目的。「わかった」は途中経過。「できた」が達成できて中学受験の指導者の仕事だと思う。「わかる授業」だけで得意げな自己満足講師は失格。そんなヤツは大学受験予備校と勘違いして陶酔しているだけ。なんだかアバウトな説明で板書も落書き状態なのに、なぜかクラスの生徒の成績がグングン上がる講師がいる。当然、その講師の方が子どもたちの味方だ。
入試本番にテキストと全く同じ問題が出題される可能性は限りなくゼロに近い。テキストの問題はすべて例題。「できる」に至るための素材にすぎない。その問題が「わかる」は当然として、次の「できる」につなげる指導こそが命だ。塾の講師でさえ勘違いしている場合がある。注意してほしい。
精神年齢が高く優秀な生徒(たいていは女子)は、「わかった」発言が控えめ。むしろ、なんとな~く怪訝(けげん)な目で黒板を見つめている。「取りあえず、この問題はわかったけど、類題ができるとは限らないわよ」という問題意識を備えているからだ。

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お調子者の男子生徒に多い「わかったつもり」は、ある程度の期間定期的にみている生徒なら表情だけでもわかる。ご家庭でも見極める最も単純な方法。その日の塾でやった同じ問題について「先生のように説明してくれる?」と課せばよい。解説ができれば自分の力となっている。(その後、忘れる可能性あり)。「わからない」より、「わかったつもり」の方がさまざまな観点で危険をはらむ。ここは厳しく諭すべきだろう。
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■やっぱり基礎トレーニングが必要だ。

トレーニング不足。条件や環境に負ける。わかっているのにできない子に多いのがこのパターン。
テストで最も過酷な条件は時間制限。「もう少し時間があったらできるのに」を、いつまでもイイワケにして慰めていないだろうか?そんな姿勢では一生そのイイワケを口癖に生き続けるぞ。何でもかんでも環境や条件のせいにしてはいかん!(それは私か・・・)

実は制限時間との戦いは受験勉強の重要なテーマ。根からの対策を要するのに意外に強調されていないような。気のせいか?
まず、本人と対面して模試の反省会。模試の最中にどのような状態・気分だったか尋ねてほしい。漠然と「時間が足りなかったんだよぉ(泣)」では不十分。20分後は何をしていたか覚えているか?最後の5分に何をしていたか?など具体的に調査する。そして、模擬テストで(解答欄が)空欄だった設問の類題をゆっくり解かせてみて、真の理解を試してみてほしい。

そうやって検証後、もし、制限時間が重大なネックとなっていると判明したらどうするか?「早くやりなさい!」と急(せ)かして、ド根性トレーニングを積んでもスピードそのものは、それほど改善しないのだ。疲れるだけなので徒労は避けよう。また、いまだに「最初に、問題を見渡して時間配分を考えましょう!」などとしたり顔で伝える講師もいるが、それも無責任が過ぎる。大人だってそんな計画できるのか?7分でエクセル表を組み、次の5分メールの作文、1分で確認して・・・、なんて、そんな分単位で計画していないでしょう?幼い子どもたちが分刻み計画ができるはずない。ちゃんとイチから教えてほしい。
もっと科学的に。もっと現実的に。

私なら。まず、自分の処理時間感覚を把握させるステップから始める。時間の長さを体感させる。例えば国語の長文問題の文章だけを読ませ時間を計測。そうして、自分の文章を読む時間がどれくらいなのかを意識できる。ちょっと面倒な計算問題も時間を計測してみる。ちなみに大人でもこの作業は有効だと思う。ワイシャツ5枚のアイロンがけに何分?家族4人の食器洗いに何分?

正確に記録する必要はない。時間を意識することに意義がある。普段から腕時計をチラチラと時間を測定する習慣が大切だと思う。
そうして、自分の処理時間が意識できてきたら、次のステップ。時間の配分能力を養う。制限時間内の完遂を要求するのではなく、この問題に残り何分必要かを判断させる練習。作業の所要時間の先読み判断だ。

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子どもたちに時間無制限のテストを与える。ある合格点の自信に達したら提出。時間制限がないのに、途中で、「あと何分で終わりそう?」と問いかけて判断させる。子どもたちは(大人も)楽観的な見込みでソバ屋の出前的なイイカゲンな発言をするので、だいたい宣言通りには終わらない。そうして見込み時間判断のトレーニングを積む。これは、日常生活のなかでも訓練できると思う。大人でも仕事ができるヤツは、所要時間判断が的確だ。

そうして、制限時間と自分の能力をすりあわせ、その過程で徐々にスピードアップを目指す。一朝一夕に備えるのは難しいだろう。(幼少時からそういうトレーニングを受けている子は自然にできる。)徐々に養ってあげてほしい。
追:ちなみに、時間以外にも解答用紙の使い方なども重要な要素。お忘れなく。
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■よい思い出は、繰り返し反芻(はんすう)してほしい

「わかった」知識や解法を忘れてしまえば無為・無駄&徒労。人間の記憶はアイマイ。国民的に見慣れたドラえもんでさえ鉛筆やクレヨンで再現すると全然違う。
以前にもお話ししたが、ともかく人間はたいていのことを忘れてしまう。夏の日のアイスキャンデーのごとく。日なたにおいておけば数分で溶けるだけでなく、蒸発してしまうだろう。そのくせ、なんとなく「覚えていられるだろう」と甘く見るのが問題。私も、あのときちゃんとメモ帳に書いておけばよかった・・・、との後悔を何度も何度も重ね続けて数十年。ゆえ、優秀な仕事人はメモを重んじる。忘れることを知っているからだ。

「今、鶴亀先生の授業はわかっているけど、これは儚(はかな)くも1時間後には忘れてしまう。諸行無常の響きあり。しづ心なく花の散るらむ。」という意識を忘れるなかれ。つまり、常に、忘れることを前提に「忘れないように意識する」「忘れたときに備える」ということ。これが記憶の基本的な姿勢。記憶力という能力自体を高めるワケではない。

ドイツのエラい心理学者の先生が考え出した「忘却曲線」が有名だが、その理論の是非はとにかく、直後に大半忘却するのは人間の宿命。ゆえに、短いタームで「思い出す」行為を重ねるように。細かい復習が効果的。授業中、問題解説の直後に、「じゃ、この問題もう一度解いてみようか」くらいの超短いサイクル。

私は塾の生徒たちに塾帰りのリピートを勧めていた。何かというと、塾の帰り道でその日の授業の内容を何でもいいから思い出せ!だ。ボーっとして車にハネられてはいかんが。寝る前の風呂場でもベッドでも、何でもいいから、その日の授業内容を3つ思い出せ!と伝えた。そんな小さな反芻(はんすう)モグモグが記憶の定着を助ける。

さて、前号で、人間の脳はコンピューターと同じ、意識して覚えさせないと消える、と記した。コンピューター内ではハードディスクなど記録保存する装置ががんばっている。もうひとつの重要な要素は記憶を呼び出す仕組み。ハードディスクにデータが残っていても読み出す機能がトラブっていては使えない。人間も、すべてを「完全忘却」しているワケではなく、実は脳の奥底に残っている。つまり記憶しているけど呼び出せない状態なのだ。

そこで記憶の呼び出し機能を仕込んでみる。単純な呼び出し機能は語呂合わせによる記憶法。「水平リーベボクの船」である。でも、これも限界が・・・。そこで、まずは勉強したシーンを印象づけておくのだ。

つまり――。
「今日は午後にゲリラ豪雨が降ったよな?今日の先生は桜色のネクタイがオシャレだろ?さてさて、この線分比の問題なのだが・・・~中略~・・・で、答えは5:4。ちなみに、繰り返すが、今日は鶴亀のネクタイは桜色だよね」と授業を進める。
そして1ヶ月後。鶴亀「カツヤ!そういえば、この線分比の問題、1ヶ月前に夏期講習でやったよな!」→カツヤくん「え~、なんとなくやったかなぁってカンジかなぁ。忘れちゃったよぉ」とトボける。鶴亀は形相を変えて「オイオイオイ、激しい夕立が降った午後、鶴亀の桜色のネクタイ、忘れたとはいわせねぇーぜ!」とすごめば、「あああ、あのときの5:4じゃないか、確かに教わりましたです。。。ごめんなさい。。。」と思い出す(かも)のだ。ちょっと懐かしい音楽を聴くと記憶の彼方にあったはずの高校時代のガールフレンドを思い出す。ロマンチックでセンチメンタルな瞬間である。

さて、くだらない喩(たと)えばかりで申し訳ないが、この「思い出すキッカケ」つまり「印象度」は学習にとって重要だと思う。冗談抜きに私は毎日の印象的でドラマチックな授業と学習こそが、呼び出し装置となるのだと思っている。
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ひとつの現実的な手段をお伝えしておこう。簡単な学習日記をつけさせる。ノート(メモ帳程度で可)にその日の学習記録を残す。書式は何でもいい。内容も何でもいい。単なるメモ。1行でもよい。「P123の線分比の問題ができなくて、鶴亀先生に説教された。むかつく!」と日記系でも、「総理大臣の指名は国会なのだ!」と授業内容のメモでもよい。そして、ときどき、「そういえば、2週間前の記録を読んでごらん」と投げかける。「あ、今度こそ、鶴亀オヤジを見返してやらないと!」と執念を呼びさますだろう。
そういう思い出し経験が徐々に堆積(たいせき)し、記憶も知識も固まっていくのだ。
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